山本 一洋
1944(昭和19)年 長崎県に生まれる
1986(昭和61)年 『サロン・ド・パリ日本の美術展』(パリ開催)3年連続入賞
1989(平成元)年 ホテルニューオータニ大阪にて純プラチナ彩陶芸第1回個展
2000(平成12)年 橿原神宮 宝物館に尚蔵
2006(平成18)年 アメリカニューヨーク日本クラブにて個展
2010(平成22)年 スペイン バレンシア国立陶器博物館にて『山本一洋 特別招待展』開催
2013(平成25)年 平凡社創業100周年記念出版「WAZAが創る」
2015(平成27)年 平凡社より「プラチナ彩 至高の輝き 山本一洋の世界」
「純プラチナ彩・セラミックの宝石」伊万里焼の伝統的な技法を守りながら、長年の研究の末に焼物に向かないと言われていたプラチナで「高純度プラチナ彩」を完成し、陶芸の世界に新たなる技術の進歩と革新をもたらしました。
色彩と光が華麗に競演し、複雑に煌めく作品は線を丹念に重ね塗りし、気の遠くなるような工程と作業を積み重ねて生まれたもの。染付の呉須、釉裏紅、青磁釉なども工夫して遠近感を出し、何度も重ね描きされたプラチナの線のわずかな凹凸に光が乱反射して何倍もの光彩を持って輝きます。
2010年にはスペイン・バレンシア国立陶器博物館より特別招待展として開催され同博物館のこれまでの入館者数の記録を更新。2018年より国際交流基金主催「超絶技巧の日本」展に選定され10年間に渡り世界の美術館や文化施設を巡回。
佐賀藩(鍋島藩)の藩祖鍋島 直茂が豊臣 秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592年~1598年)に参加したことをきっかけに朝鮮から多くの陶工が佐賀に渡来し、これら陶工の一人李 参平(日本名:金ケ江 三兵)が有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見し、元和2年(1616年)に有田の天狗谷窯で日本初の磁器が製造された。
伊万里焼は有田(佐賀県有田町)を中心とする肥前国(現代の佐賀県及び長崎県)で作られた磁器の総称。製品の主な積み出し港が伊万里港であったことから「伊万里焼」と呼ばれた。
1986(昭和61)年 『サロン・ド・パリ日本の美術展』(パリ開催)3年連続入賞(1986(昭和61)年~ 1988(昭和63)年)
1997(平成 9 )年 飛騨高山 茶の湯美術館所蔵作品を1年間制作
2000(平成12)年 橿原神宮 宝物館に尚蔵
2010(平成22)年 スペイン バレンシア国立陶器博物館にて『山本一洋 特別招待展』開催、 同館始まって以来の入館者を達成
スペイン バレンシア国立陶器博物館所蔵
ACC(スペインカタルニヤ陶芸家協会)名誉会員に選任される
2018(平成30)年 独立行政法人 国際交流基金主催「超絶技巧の日本」展に選定され出品、約10年間にわたって世界巡回展となる