小島染織工業
刺子織は手作業の刺し子のように経(たて)の糸を浮かせて凹凸のある模様を織り出した生地のことを言います。剣道着に使われる丈夫な特殊織物で、糸を染めてから織る綛染めの手法で染めた深みのある素敵な藍色が魅力です。その生地を使った、暮らしに取り入れやすい小物や可愛いテディベアです。
本当に気に入ったものを手にすると長く使い続ける事ができます。丁寧に扱い、時間とともにその魅力が高まっていくのは藍や和の生地の良いところだと思います。手間を惜しまない手仕事の良さや温もりを感じるものづくりを大切に、古き良き伝統を活かしたアイテムや、今の時代に合わせ心地よくアレンジしたアイテムなどをお届けします。
小島染織工業は明治五年に小島九馬平により創業し、以来150年「染め」「織り」に従事してきました。農家の副業として藍染織物を製造し、後に企業化し創業。当時は農作業用股引に使われる小幅先染織物が中心でした。
武州では藍染めをする際に糸を綛(束状に巻きとったもの)にして染める手法を用います。織りあがった生地は細かい縞模様があり「青縞(あおじま)」と呼ばれ愛好されてきました。創業時から変わらぬ綛染めにこだわり、手作業の感覚を残すことによって引き出される、深い色合いを求めて伝統を守り続けています。そして近年は新しい技術も取り入れながらオリジナルの生地作りに力を注いでいます。
現在の北埼玉はかつて武州と呼ばれ、江戸時代から藍や綿が栽培されていました。農家の主婦が収穫を終えた農閑期に糸を紡ぎ、藍染めや織物をした事に始まり、やがて市場で売買するようになり、そして専業の紺屋へ転換します。
明治時代には手縫いに変わりミシンが導入され、この地での足袋生産が飛躍的に伸び、藍染織物と白木綿の織物と縫製は基幹産業となります。最盛期には紺屋は200軒を越え、徳島県に次ぐ藍の産地と言われていました。
やがて合成繊維が普及し需要が縮小します。しかし武州の藍染織物は深い色と、耐久性や密度の高さなどから剣道着として生き続け、今も日本唯一の剣道着素材の産地としてその伝統と価値を守り続けています。