田名網 敬一

 

1936年、東京生まれ。武蔵野美術大学を卒業。アートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーター、映像作家、アーティストとして、職種の境界を積極的に横断して活動を続け、現代の可変的なアーティスト像のロールモデルとして高い評価を得ている。「編集」というデザインの方法論を用いながら、ファインアートの枠に捉われない創作活動を続け、コラージュ、プリント、ドローイング、アニメーション、実験映画、ペインティング、立体作品、インスタレーションまで幅広く作品を発表。 

 

 

作家である田名網敬一は、60年代日本の高度成長期をスタートに、ポップカルチャーと変貌する都市のエロスを交感させ、グラフィックデザイン、美術、アニメーション、映像といった多ジャンルの境界を軽々と横断し、現在に至るまで奔放な創作活動を続ける、日本を代表するレジェンドのひとりです。

 

 

常に表現の越境者であり続ける田名網敬一の、自由自在に折衷することでオリジナルなものへと昇華させていく独特のスタイルは、江戸期を代表する絵師である“北斎”の複眼的想像力に通じる、極めて日本的な文化遺伝子を現代へと引き継いでいます。

 

 

東京京橋の服地問屋に生まれた田名網敬一は、幼少に洋服見本に付いていた様々な商標に描かれた図柄や色彩に大きな影響を受けています。また実家の転居の近くには、絢爛豪華な内装の目黒雅叙園があり、内装に描かれていた極彩色の絵画や彫刻に触れることで感受性を育んでいきました。同時に、5歳の頃に東京大空襲があり、そこで見た強烈な戦争体験が、その後の創作活動に影響を与えました。戦後アメリカの文化やポップアートの影響と個人的な記憶の混じり合う創作のベースには、極めて屈折した心理と矛盾した開放感が一体となった感情が、夥しい作品のすべてに表出しています。

 

 


 

近年は国外での展覧会のオファーが続き、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やシカゴ美術館、ベルリン美術館、香港M+など、世界の主要美術館に作品が収蔵され国際的なファインアートシーンでも評価が高まる。

2022年アートフェア「スイス・バーゼル」に、ニューヨークのガゴシアン・ギャラ

リーから参加し、ピカソをテーマにした作品が高い評価を得る。

2023年、「PARAVENTI:」(ミラノ、プラザ財団とプラダ青山)の併設展示。

20248月「田名網敬一 記憶の冒険」展(国立新美術館. 東京)を開催。

現代アートからファッションまで様々なジャンルを横断し、半世紀以上にわたり日本のアートシーンを牽引する「生ける伝説」である。2024年逝去。