大塚 誠一

1861年に創業された大誠窯は、益子では最大規模の登り窯をもち、濱田窯とともに益子焼の歴史を担っています。7代目である大塚誠一は、日本六古窯のひとつでもある兵庫県・丹波焼の地で柴田雅章に4年間師事。材料である土や薪の準備も自身で行い、素材そのものにも拘りを持ち制作をしている。古陶磁や民藝にも親しむ氏の作る作品には、伝統を踏まえた味わいのある作品が多い。

栃木県の中心、宇都宮市の東に位置する山間の町、芳賀郡益子町。この地で作陶が始まったのは江戸時代の後期とされています。その頃は瀬戸(愛知)や信楽(滋賀)といった、古窯の全盛。それを模したものを関東地方で作ろうとなったのが始まりでしたが、特色も無く、名もないひとつの産地となっていた益子に、今につながる命を吹き込んだのが、かの濱田庄司でした。

英国人の陶芸家、バーナード リーチとの出会いを経てイギリスで共に窯を開いたのち、日本へと戻った庄司が作陶の地に選んだのが、この益子だったのです。益子の土と釉薬で、益子の焼き物に芸術性を取り入れた庄司の作品の数々、そして技術指導を受けた職人たちの作り上げた窯物は、柳宗悦率いる民藝運動の勢いも相まって、次第に“益子焼”として認知されるようになりました。